2002年1月2日
件名:掲示板再開の件
2001年12月16日に一旦閉鎖しましたが、無料の掲示板を見つけましたので、再開することにしました。皆様の利用をお待ちしています。
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2001年12月20日 0:01
送信:高原
受信:星野慶一様
星野様
お尋ねの会社の状況ですが、当社も取り扱いがエレクトロニクス中心ですのでご多分に漏れず厳しい状況です。前期は連結で過去最高の経常利益を出しましたが、一転して今期はどん底に近い業績になりそうです。上期はかろうじて利益を出しましたが、今のままですと通期で赤字に転落しかねません。4年前に私がリーダーで1部上場のプロジェクトを成功させましたが、その後の業績からすると、あの時しかできなかったというグッドタイミングでした。
今もコンピュータシステムののせかえプロジェクトから、人事制度改革、業務マニュアル作成、社内規定改定、商法改正対応プロジェクトなどいくつものリーダーをやっ
ており、殆ど私的な時間が取れない状態です。おまけにセクハラ委員長もやっています。
といいながら、日刊工業新聞に記事を投稿したり、「ぎょうせい」からだしている「旬刊速報税理」に毎月連載物を担当して4年目になります。これらの記事内容は下記アドレスのホームページで見れますのでぜひご覧になってください。
なお来年は久和会を開催したいと思いますので、またれんらくします。
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2001年12月19日 12:31
送信:星野慶一様
受信:高原
件名:Re.文字化けの返信
早速のメールありがとうございました。なにしろ当方はこのようなものはカラッキシ駄目でして、いつも会社の若い者の助けを借りないと殆んど分りません。
ところで社業の方はいかがですか? 我が方は最悪です。産業の空洞化が急ピッチで進み、一体日本の製造業はどうなってしまうのでしょうかね。小生は、かろうじて年金受給の資格がありますので、いざとなれば…などと不埒なことを時に思いますが、こういう日本に誰がした、と問われると責任の一端は我々にもあるのかもしれませんね。せめて罪滅ぼしに、私の報酬などは少しは減ってもかまわないので、次代を担う若い人たちのために最後のご奉公をという気持で、日々やっております。きっと我が久和会のメンバーも、同じだと思っておりますよ。良いお正月を! 星野
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2001年12月16日 14:57
送信:高原
受信:石嶺幸男様、小高研吾様、梅谷道彦様、片山源二郎様、佐久間武男様、田中宏文様、丸茂英知様、星野慶一様
件名:掲示板閉鎖、近況・受信メールページ新設
梅谷さんの発案で6月3日久和会ホームページに掲示板を設けましたが、半年間で1件の利用しかないため、今日閉鎖しました。
そのかわりに「近況・受信メールページ」を新設しましたので、参照してください。
<梅谷様>
折角ご提案頂いたのですが、利用者がいないので、閉鎖することにしました。
掲示板は1ホームページに対し1つしか登録できないため、
他のページで利用することにしました。あしからずご了承ください。
<注>平成14年1月2日掲示板を再開しました。
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2001年12月12日 12:46
送信:梅谷道彦様
受信:高原
件名:氏神通信
11月の終わりから12月初めに掛けて1週間ほど今年最後の中国旅行に行っておりました。
少し前にコタツでミカンを食べながら新聞を読でいましたら,子供のときに良く食べた和歌山産の温州ミカンを思い出しました。
そう言えば最近は温州ミカンという言葉を聞きません。温州ってどんなところかと思い立つともう我慢が出来ません。
その日より三日後に上海に立っていました。翌日飛行機でそこからせっこう省の温州に行き、三日間温州でぶらぶらとさまよっていました。
そのときウイルス問題がこんなに大きく広がっているなどとは知りませんでした。
風の便りに聞くところによりますと私の所のウイルスがあちらこちらのパソコンに密かに入り悪さをしているとのこと、ひょっとしてご迷惑を掛けていましたら真に申し分けございません。
厳しくお仕置きをしてお来ましたのでご寛容をもってお許しをお願い申し上げます。
原因は良くは分かりませんが、いずれにしてもパソコンの知識のなさによってご迷惑をおかけしたことに間違いありません。
現在使っていますこのハードはまったく問題はありませんのでご安心ください。重ねて今後十分に注意いたします。
遅くなりましたか深くお詫び申し上げます。
わが旅の 終わりを添える 冬の虫
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2001年8月3日 12:04
送信:片山源二郎様
受信:高原
件名:定年挨拶、メール開通
私儀、この度東芝OAコンサルタント中部支店を最後に6月末で定年退職致しました。この間、暖かいご指導ご鞭撻をいただきありがとうございました。
さて、新たに次のメールを登録致しました。当面は充電期間ですので、楽しい情報やトピックスがございましたら、お知らせ下さい。
<追伸>
1カ月が経過して、ハローワーク(失業保険)および社会保険事務センタ(厚生年金)の手続きが終了しました。当面は、失業保険をもらう予定です。同期生も1〜2年で順次定年を迎えることになりますが、お互いに健康に気をつけたいものです。
片山 源二郎;カタヤマ ゲンジロウ
E-Mail:
携帯:
Tel1:
Tel2:
<注>アドレスや電話番号は削除してあります。高原
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2001/06/10 (日) 11:58
掲示板:梅谷道彦様
件名:新たなる自己紹介
皆さんお元気ですか。
久しくというか卒業以来お会いしていない人もいるのではないかと思います。
この掲示板は私の思い付きを高原君が実現してくれた訳ですから、責任上率先して利用しなければならないと考えていましたが、あいにくと母が入院する事態と重なり、何かと落ち着かぬ日が続き、今日やっと利用することになりました。
先日の片山君の近況のように順次我々も新たな旅立ちを迎える世代であろうと思いますので、今更とは思いますが、まずは最新の自己紹介と近況について語ることにしましょう。
卒業後大阪で不動産鑑定士の勉強をし、5年後故郷の名古屋に戻り、それ以来不器用ですからこの道一筋を続けています。
今年立ち上げた全国不動産鑑定士ネットワーク(株)の名古屋地区の責任者も兼ねています。
家庭裁判所の参与員と調停委員を16年続けていますし、地裁の鑑定委員や競売事件の評価人をしており、今ではこのボランテイアの仕事に結構時間が取られます。
趣味に着いて話しましょう。
学生時代は喜多会に入って謡をしていましたが、何時の間にか練習しなくなり、今ではすっかり忘れてしまいました。
この7,8年は中国語を勉強していますが、一向に上手くはなりませんが、この間年3回ほど暇を見つけてはせっせと中国大陸を一人で彷徨しており、今では一泊以上滞在した中国の街は54ヶ所になります。
今ではこれが唯一の趣味ということかもしれません。
今年はこの連休に広東省、福建省の客家の故郷をさ迷っていました。
今はこの夏の計画を中国のインターネットを開いて情報収集しています。
時々これまでの旅の報告を順次しようかと思っています。
以後よろしくお願いします。
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2001年6月6日 9:05
送信:片山源二郎様
受信:石嶺幸男様、小高研吾様、梅谷道彦様、佐久間武男様、田中宏文様、丸茂英知様、星野慶一様、高原
件名:RE: 掲示板設置(返信・連絡)
<高原殿>
色々な事を着々と進められて素晴らしいですね。
<OB各位>
このたび誕生日を迎えたので、6月末で会社を定年退職に成ります。 従って、現在の名古屋勤務も6/29で終了です。
7/1からは、元の世田谷・下馬に戻ります。
サラリーマン生活で、仕事に追われつづけた感じです。また、趣味の世界(囲碁・ゴルフ・競馬それとお酒)で楽しみすぎたせいか、将来のことは何も考えていません。
当分は、ぶらぶらして、それから次の事を考えます。インターネットの個人アドレスは、別途連絡します。
以上
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2001年6月3日 0:57
送信:高原
受信:石嶺幸男様、小高研吾様、梅谷道彦様、片山源二郎様、佐久間武男様、田中宏文様、丸茂英知様、星野慶一様
件名:掲示板設置
ホームページに掲示板を設けましたので、近況や連絡事項などを書き込んでください。
設置のきっかけは掲示板に書き込んでありますので、参照してください。
<注>掲示板は利用者が半年で一人しかいないため、12月16日閉鎖しました。
<注2>平成14年1月2日掲示板を再開しました。
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2001年6月1日 15:50
送信:石嶺 幸男様
受信:高原
件名:ホ−ムぺ−ジの件
ご無沙汰しています。ホ-ムぺ−ジ拝見しました。監査業務のピ−クだったもので遅くなりました。
名簿はもう載っていましたので意見はいいですね。
ご活躍をお祈りしています。
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2001年6月1日 14:26
送信:星野慶一様
受信:高原
件名:Re: 久和会写真送付
お元気のようで何よりです。あなたは何時仕事をしているのですか?大変な写真をどうもありがとうございました。
今の時代はすごいですな、こんなことが出来るなんて、とても我々にはついていけない世界です。特に戸島氏はダメでしょう。
また,機会を作ってください。一筆お礼まで。 星野慶一
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2001年5月27日 9:58
送信:高原
受信:梅谷道彦様
件名:Re: ホームページ開設の件
早速のご返事有難うございます。
名簿掲載の件、まだ他の人の意見を聞いてはいませんが、とりあえず氏名と出身校だけ載せてみました。
バーチャル同窓会の件は今後の検討課題として、前向きに考えたいと思います。
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2001年5月25日 23:02
送信:梅谷道彦様
受信:高原
件名:Re: ホームページ開設の件
素晴らしいホームページだと思います。
学生時代の貴方については判っていますが、その後社会に出てからは久和会活動以外良くは知りませんでした。このホームぺージで貴方の仕事の中身や趣味もよく分りました。誠に良き趣味と羨ましく思います。これから時々覗かせて頂きます。
ところで久和会のメンバーの名前をホームページに載せる事は私は特に抵抗は在りませんが、人によってはいろいろと考えるところが在るかもしれませんね。このホームページに久和会メンバーを掲載する意義と目的、掲載事項等も明らかにしてメンバーに何かのついでに確認を取ったらいかがでしょうか。そして各人の了解事項の範囲内での公表をしたらいかがでしょうか。
またこのホームページを久和会の回覧版として利用できるならばそれなりに意義を見出すことが出来るのではないでしょうか。この事を契機にバーチャル同窓会の立ち上げを考えていただけたら、より多くの同窓生が自分を語ることが出来、一年一回のリアル同窓会への出席も増加するのではないかと思います。それも今の私達にとって面白くかつ有意義のあるもになるのではないかと考えます。いずれにしても貴方にご苦労をかけることになりますね。
それではまた連絡し会いましょう。
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2001年5月25日 22:09
送信:高原
受信:石嶺幸男様、梅谷道彦様、片山源二郎様、佐久間武男様、田中宏文様
件名:ホームページ開設の件
このたび私のホームページを開設しました。
久和会のページも作りましたので、是非ご覧になってください。
名簿等を掲載してもよろしいのですが、プライバシーのこともありますので、躊躇しています。
ご意見をお聞かせください。
URLは
http://k-takahara.a.la9.jp/kyuwa/kyuwa-index.htm
です。
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2001年5月25日 0:20
送信:高原
受信:小高研吾様、丸茂英知様、星野慶一様
件名:ホームページ開設の件
星野 様
いつもお世話様です。
遅くなりましたが、昨年の久和会の写真をお送りします。写真20枚をビデオカメラから取り込みました。
添付ファイル「久和圧縮.EXE 1026KB」は自動解凍形式です。任意のフォルダーに保存して、ダブルクリックしてください。
解凍後のフォルダーには「*.jpg」の写真が20枚作成されます。うまくいかないときはメールください。
なお、私のホームページを作成しました。久和会のページもありますので、是非ご覧下さい。
アドレスは下記の通りです。
http://k-takahara.a.la9.jp/kyuwa/kyuwa-index.htm
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2001年5月10日 22:26
送信:梅谷道彦様
受信:高原
件名:氏神通信
ご無沙汰しています。
28日から昨日(5月4日)まで上海から広東省のスワトウ、梅州、福建省の永定、龍岩、アモイに行きそこから上海に戻り、そして 帰ってきました。
中国の近代、現代史をこのところ読んでいます。アヘン戦争以後特に西太后の暗躍するころから以降ですが、このあたりの歴史といっても100年余りしか経っていませんが、大変興味があり、中国に旅する時はいつも歴史の本を持っていきます。
丁度この頃には多くの客家の人が活躍するのですが、客家という言葉は以前から知っていましたが、実体については良くは知りませんでした。客家といえば現在でも台湾の李登輝、シンガーポールのリークアンユー、タイガーバームの胡文虎、古くは儒学者の朱熹、更に下って太平天国の乱の洪秀全、孫文、宋家三姉妹、朱徳、葉剣英、文豪にして政治家の郭抹若、民主化路線で失脚した胡耀邦、そして開放改革のケ小平などがいます。
彼等客家は貧しくも極めて教育熱心であり、海外雄飛や歴代科挙の合格者をも多く出しているのです。その中で私が特に興味を持ったのは1898年戊戌の変法に連座し日本公使に任命されながら赴任することもなく故郷に戻った客家の人黄遵憲(外交官であり、詩人、代表作に「日本雑事詩」)であり、彼の故郷を見に行きたく、あわせて客家の故郷を出来る限り見ておこうと旅立ちました。
スワトウ刺繍で有名なスワトウ(汕頭)から内陸部に向かって汽車で4時間、広東省梅州市に彼の故郷があります。梅州市は多くの華僑の故郷であり、客家の中心都市です。ここを中心に隣の福建省の龍岩市(この3月にこの間の鉄道が開通し、3時間余で行くことが出来ます)を中心とした地方、更にその奥の江西省の山岳地帯が客家の故郷といわれています。
まずは上海からスワトウへ、そこから汽車で梅州市へ行き、真っ先に黄遵憲の生家を訪ねました。見学客は私以外は一人もいなく、生家は朽ち果て、故郷に戻り人境蘆主人と号して作家活動していた書斎が残っており、そこで一人感慨に耽っていました。
日本人が来たということか丁寧にも係が最後まで案内していろいろと説明をしてくれるのです。それにしても薄暗いこの部屋で必死に勉強し、科挙に合格、清朝の官僚となり、最初の任地日本での明治維新を見て、清朝の光緒帝を中心とした立憲君主国家への維新を夢見、挫折し故郷に戻り隠棲した独りの男の思いを考えざるを得ませんでした。
彼の詩は国家を憂い、民族を悲しみ、庶民の生活を哀れむ、そして広々として縛られるものなく、感情深く大きく人をして感動させると評されています。
丁度5月の1日から中国もゴールデンウイーク(中国語では金周)、いたるところは人人人ですが、ここだけは奇妙に静かでした。翌朝3時起き、早朝4時出発の汽車ですが、ゴールデンウイークのラッシュか必死の思いで乗り込み、福建省の永定に向かいました。
ここは天人合一思想の所産といわれる客家住宅の土楼の多く残るところ。円楼、方楼、その折衷型の土楼があちらこちらに点在し、そのいくつかを一日中見学しておりました。ここでも客家の教育熱心さを知りました。山すその小さな集落にも学堂があるのです。
昔この地方は匪賊が多く、商人は商品を多く動かす時は先生に一緒に行ってもらうということがあったそうです。なぜなら匪賊も先生の言うことを聞くぐらいこの社会では先生が尊敬されており、それだけ教育が熱心であったそうです。一族が住む客家の家の一つに福裕楼というのが今もありますが、これは方形の楼ですが、この一族に早稲田大学に留学し法学部で法学博士号を取得し、帰国後校長を歴任した人が戦前の話しではあるがいたそうです。福建省の奥地で母校の話しを聞くことになりました。
山間の貧しい村にある振成楼ではこの百年で一族から科挙の合格者である挙人を多数出し、更にこの百年に10名の博士、学者が出ています。貧しくとも教育の力の偉大さを改めて知る旅となりました。
このところ急に暑くなってきましたが、健康にくれぐれも留意されますよお祈りいたします。
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